ジョン・シルバー出演者が選んだ「イメージを刺激される言葉」

宗真樹子(劇団きらら)

「ジョン・シルバー」出演者の宗真樹子(劇団きらら) に、戯曲の中で「イメージを刺激する言葉」を選んでいただきました。

「人は自分にだまされるんだよ。他人にだまされやしないさ。」

宗真樹子:初めてこの戯曲を読んだ時、一番印象に残った言葉。もっともだなと。かっこいい台詞だなと。シビレた!

あと、(戯曲の中に)色がたくさん出てくる事。たくさん。

鮮明に、より具体的にイメージに働きかけるなと思った。記憶や感覚が刺激されて、イメージに結びつきやすい。

黄色い歯

青い夢、赤い夢

灰色のホーム

白い箱

大きな黒アゲハ

赤いパンティ

白いバラのハンカチなどなど・・・。

五味伸之(空間再生事業劇団GIGA)

P108「その理屈だと、人は皆新しいものしか持ってはいけないってことになるじゃないか。」

このセリフにイメージが刺激されました。

まず、「イメージ」という言葉を辞書で調べてみると・・・【心に思い浮かべる像や情景。ある物事についていだく全体的な感じ。心像。形象。印象。また、心の中に思い描くこと。】とあります。心の中に思い描くことの姿は、言葉で描いていることが多いように感じます。線や丸や三角などと言った形でイメージするのではなく、「ぼんやりとした木々のような景色の中にいる人」というように、言葉で心の中にイメージしています。表徴することがイメージすることとイコールのように思います。想念ということもイメージと近しい感じがします。想い念じること、すなわち、こうありたい、こうでありたい、という欲望を含んだ想いがイメージのようなもの。と考えています。

イメージは言葉で考えを進めていくことができるので、便利ですけど、言葉がないと考えを深めて行くこともまたできなくなることがあります。町田康が義経記を現代語訳したことについて講演で話していた中に「古文を知ることで、言葉の幅を広く持つことができる。1つの事象に対して様々な言葉でイメージできることは、1つの言葉でしかイメージできないことよりも豊かである。」と言っています。

演劇は音と光が組み合わさってできる言葉と動作の表現なので、このある言葉・概念を無意識的に表現していることに対して、受信者側がより具体的な概念として形成して行くことになると思います。

劇作家と俳優は絶えず交信し合いながら、無意識と有意識を交錯し更新し続けることのできるパートナーであると考えています。

そして、最初に書いた「その理屈だと、人は皆新しいものしか持ってはいけないってことになるじゃないか。」のどこに僕がイメージを広げたか、そして、このセリフのどこに作家の無意識が潜んでいるのか、ということについて考えて見たいと思います。

まず、このセリフは、小男という登場人物が発したセリフになります。作品の前半から後半へとドロップして行く部分で登場しています。小男は、舞台となる床屋に突如現れて、去っていくことを何度も繰り返します。重要な場面に現れたかと思うと、すぐ消えて行く。そんな意味深なようなギャグのような人物はリヤカーをひきながら移動しているのですが、床屋の中には入ることができず、店主にリヤカーを置いてくるように言われます。小男はリヤカーと自分とを荒縄で巻きつけて決してなくすまい!と、大切にリヤカーを扱います。この荒縄と自分をリヤカーでつないでいる様子はへその緒と胎児の姿に感じます。

リヤカーに結ばれた胎児のような小男が侵入してくる床屋は、いわゆる待ちの床屋というものではなく、記憶や歴史の無秩序を刈り取り生活へと促すような場所だと感じています。

以上のような背景を持った上で、「その理屈だと、人は皆新しいものしか持ってはいけないってことになるじゃないか。」のセリフが出てきています。

僕はこのセリフから、失ったもの、もうすでにここにはないもの、ないはずのものをずっと持ち続けている人をイメージしました。それはきっと、自分が失ったものをよく見る性質があるからだと思います。そして、このジョン・シルバーの作品からは街の変化や時代の変化を感じます。作品の冒頭に登場する男が、様々な時代の名残のようなアイテムを身につけていることから、そう感じているのだと思います。

失ったもの。手に入らなかったものと言い換えることもできるのは、小学生の時、校門で販売していた家庭学習教材についていた付録の天体望遠鏡が手に入らなかったことが影響しているかもしれません。母に何度もせがんだけれど、とうとう手に入らなかった天体望遠鏡。当時は、あの望遠鏡で星空を見ることに憧れていました。その代わりか、顕微鏡を手に入れて、虫や髪の毛や皮膚やホコリの組織をじーっと見続けることが好きになりました。

失ったもの。同じく小学生の頃、転勤族の父だったので、何度か引越しをしました。初めての引越しはとても辛く、車で移動するときに見送りに来てくれた友達がガラス越しに見えなくなって行くのを覚えています。遠くに消えて行く友人たち。

望遠鏡や、引越しで離れて行く友人。失ったものは、「遠くに離れる」ということに近いことのようです。「その理屈だと、人は皆新しいものしか持ってはいけないってことになるじゃないか。」は、リヤカーから遠く離れて(本当はおそらくそんなに遠くないけど、とても遠いと感じる距離で)しまった小男に自分を重ねているのかもしれません。

失ったもの。自分が育った場所。広島の五日市川、香川の田んぼのあめんぼ、福岡の青年センター。

僕は青年センターという場所で育ちました。演劇を始めたのも、人生の辛い出来事を支えてくれたのも青年センターでした。実際には、青年センターに集う人々に支えてもらったのですが、その人たちもまた、それぞれで支えあっていたの、この場所に支えられていたというように感じます。ひとつの建物の中で、出会ったり、見過ごしたり、いろいろな関わり方ができる不思議な場所でした。きっと、そういう場所は、みんなそれぞれのタイミングでぜんぜん違う場所があるんだろうな。と思います。

「その理屈だと、人は皆新しいものしか持ってはいけないってことになるじゃないか。」このセリフの前には、このような言葉が言われています。

「そうだ、ものは年月がたてばなんだって古くなるの。ね、たとえこきたなくなったものをぼくが持ち歩いたところでどこに不思議があるってんだい。」

福岡は天神ビッグバンで、大きく街が変わります。耐震問題などの影響もあり、古い建物が次々と姿を消していきます。こういう状況を透かして先ほどのセリフに触れると、リノベーションされた冷泉荘で上演できることは、非常に価値のあることのように感じてきました。古いものが残るように手を加えながら、やりかたを工夫しながら続けて行くこと。大変だけど、これからの生活には大切なように思います。

ジョン・シルバーは街で生きることを楽しく考えさせてくれる作品だと感じています。

猛者真澄(空間再生事業劇団GIGA)

ト書の中の、

宴の大団円の如く大哄笑のうちに舞台暗くなり、青ざめた女一人。奥の海が二つとも煮えくり返る。

女の中の現実と非現実の落差と、行き場のない激情を感じます。イメージの中に、原色の赤と青を感じる、印象的なト書でした。

せとよしの(空間再生事業劇団GIGA)

跛銀「こだわるな!そんなものに!」

三人のシルバーのうち、1人が、シルバーの帰りを待って、物にすがり嘆く女に放つ台詞。イメージが刺激される言葉は沢山ありますが、私にとって1番はこれ。情か自己愛か、私は手放せない物事が沢山あります。苦しんで泣き喚いても死にたくなっても手放せない物たち。手放さない事が目的になってしまっている。女には似たものを感じてしまう。そこにカツーンっと入ってくるこの言葉。これは救いの言葉。ジョン・シルバーの初読みで出会い、するりするりと視界の広がりを感じました。なんだか頭も身体も軽い。何処までも飛んで行けそう。薄暗かった脳内に陽が当たったようです。なんてことない、色んなところで聞く気がするこの言葉。それでも、この戯曲で、唐さんの言葉で出会ったからこそ刺激となり私に届いたような思いがします。

ほたか

六本の足で3人の男を羽交い締めにいたくせに。お前の姿をよく映してごらん。そのために舞台は床屋になってるんだからねえ。お前は小春なんかじゃない。化物だ、

本当に、六本の足の姿をしているのか。ただ言っているだけなのか、鏡の中の姿が化物なのか、言葉だけでは実際の姿がわからない分、姿のイメージだけでなく観念的な分も同時に、色々な想像がされる多重性があると感じます。実際に立ち上げないリーディングの面白さがある部分だと思ったので、選びました。^_^

ケニー(非・売れ線系ビーナス)

「またある時はトイレット・ペーパー」

冒頭で男が自分を表そうと「ある時は」「またある時は」と言葉を重ね、「またある時はーーーー」と続くが、本の上での自分の形容はここで終わる。

自分自身を言葉で表すというのは地獄だと僕は思っていて、本の中でも僕のそう言った思いを形にしたかのように自分自身(人間)の形容は的を得ずポップコーンの様に散らばっていた。

そして男が辿りついた「トイレット・ペーパー」それから続く「またある時は」最終的に彼の自覚は何処へ辿りつくのか?そう言った自分にとっての興味をくすぐられる言葉。

梅田剛利(劇団翔空間)

目玉

宿題、「目玉」に引っかかってて、これでえらびたい。おそらく、戦後、何があったかを見ないようにしている、てな事で、解釈したかったんだけど、文章で選べなくて、なやんでます。この本は難解です。

中村卓二(リトルモンスターエンターテイメント)

とてもきれいな裸足だぜ

P91 男のセリフです。