桑森ケイのセルフ研修 川口典成さん演出「女の一生」観劇リポート

こんにちは。日本の戯曲研修セミナーin福岡vol.2(11月28日〜12月8日)実行委員の桑森ケイと申します。福岡市のジャカっと雀という小さな団体で代表、脚本、演出、役者などをしています。今回、セミナーに先駆けて事前セルフ研修と題しまして、東京で川口典成さん(セミナー最終日のシンポジウム「残る戯曲の条件」でゲストとして登壇)演出の「女の一生」を観劇してまいりましたので、そのリポートをお届けします。

ドナルカ・パッカーン「女の一生」観劇

先日11月8日18:30開演、東京は上野ストアハウスにてドナルカ・パッカーン「女の一生」(作:森本薫、演出:川口典成)を観劇しました。

「女の一生」は、文学座座付き作家の森本薫によって1945年、戦時下に書かれ上演されたもので、杉村春子をヒロイン布引けいに据え、以降も文学座で計1000回以上上演されている戯曲になります。恥ずかしながら観劇時点では存じ上げておらず、終演後に調べました。「女の一生」の歴史認識、森本薫作品の魅力、および今回観劇した「初稿」版(日頃文学座にて上演される作品は今回観劇したものとはプロローグとエピローグが異なるという)についてはドナルカ・パッカーンのブログ(https://note.mu/donalcapackhan)が詳しく、大変参考になりました。

チラシによれば、「戦時下の国策プロパガンダ組織である日本文学報国会による委託作品」とのこと。要は日本の戦争政策を広めるための作品なのかな、くらいに思い観始めたのですがとんだ間違いと2幕に入ってすぐ気付かされました。

舞台裏でのトランペットの演奏に合わせた軍歌の合唱、万歳三唱から始まり、1幕は、初稿版ということで、昭和20年、ぎりぎり戦時中の堤家で、けいと4人の義姪が戦地に赴く人々を眺めながら会話するシーン。中国人の母、日本人の父を持つ姪たちの発言の中には、日本賛美とも取れるものもあり、やはりプロパガンダの雰囲気を察しました。とはいえ、他国を貶すような発言、戦争を支持するような発言はほとんどなかったことも気にかかり、これが2幕以降、単なるプロパガンダ作品ではないと解する最初の足がかりとなっていたように思います。

2幕。登場人物は16歳のけい、堤家の人々、そして日本(と諸外国、とりわけ支那)。以降5幕までかけて、40年にわたってそれぞれの動向が細やかに描かれてゆくこととなります。まず最初に気がつくのは、男性の役を女性が、女性の役を男性が演じていることです。ところが、すべての役がそうというわけではなく、前者は1役、後者は2役で、全体の一部にとどまります。衣装は役に沿っていて、すなわち男性が女性格好をしていたりもするわけなのですが、その衣装も、着物の人もいれば洋服の人も居るのです。ジェンダー観やダイバーシティがよく問題提起される昨今でもあり、これは、作中で描かれるけいを筆頭とした登場人物の葛藤や心理、広く言えば人間、日本人の考え方や行動原理がその時代の延長として現代にも通ずることがある、という示唆的演出なのかと思いました。チラシにも「現代のニッポンの姿をあぶり出す意欲作」と書かれています。実際、ことあるごとに、作中で描かれる人物たちとのシンパシーを感じます。作中では商才がなく多少異端な存在として扱われる堤家長男の伸太郎の考え方は現代でとくに大事にされようとしている気がしますし、独り身で生涯を終えた章介などは、その時代珍しかったかもしれませんが今では独身男性は数多い。一例を挙げたに過ぎませんが、数々のシーンで納得と共感の連続でした。これは上記のブログでも取り上げられているような森本薫の書く台詞の持つ古臭さのなさ、爽やかさ、おしゃれさのようなものによるところも大きいと感じました。

さて、その台詞の中には、作中に二度繰り返されるものが2つありました。一つは、チラシにも取り上げられている「誰が選んでくれたのでもない、自分で選んで歩きだした道ですもの。間違いと知ったら自分で間違いでないようにしなくちゃ」、そしてもう一つが、「人間はやたらと間違える。まるで間違いをするために何かをするみたいだ」(大変申し訳ありませんが、客席で聞いただけなので正確な引用ではありません)。私は前者の台詞よりも後者のほうが印象に残りました。そしてそれによりより一層前者が際立つのです。一度きりの自分の人生ですから、やはり良いものにしたい。幼い頃から「もともと特別なオンリーワン」なんて聴かされて育った私からしたら、その思考は当然のように思えます。一方で、現代では、先に挙げたような新たな価値観や常識が浮上し、何が間違いで何が正解か分かりづらくなっているように思います。その中で、人生を“よく”しようという意識を持ち続けることが段々と難しくなりつつあるようです。あくまで私の個人的なイメージではありますが、世間に流されて、長いものに巻かれて、どこか暗い雰囲気漂う人生を歩んでいる友人が多い気がするのです。「良くしたいとは思うけれどそこに立ち向かう元気がない」。そんな声が聞こえてきそうです。話が逸れかけておりますが、この、「良くしたいとは思う」、この部分。正しさを是とし間違いを否とし、正しさを求め行動する姿勢それ自体に私は正しさを感じるのですが、こういった価値観がこの作中の時代から今へと続き、そして薄れつつある日本人の精神なのかと考えました。

16歳から56歳までのけいを演じ分ける内田里美さんの演技は圧巻でした。1幕の年老いた段階での演技には多少の違和感を感じたのですが、2幕からの、まるで種明かしのような生い立ちの描写、そしてまさしく生きているけいの姿は説得力に満ちていて、5幕を迎えた時点で圧倒的に納得させられたのでした。一方で、ハテナと思う役者さんもいました。その役者さんが出ているシーンではコミュニケーションが成立していないように見えることが多々ありました。ただ、これは逆に作中で語られるその人物像とはかなり親しく、そのような演出だったのかと考えます。実際に喋っていて不安になるような、そんな人も身近に居ますし、そんなことまで孕んだダイバーシティを観た気がします。今度福岡にお越しになった際に川口さんに尋ねたいポイントの一つです。

にしても、中国と日本2つのルーツを持つ義姪たちが未来の希望と語られるラストは、本当に戦時中に書かれたものなのか疑わしいほど現代的でした。演出の川口さんは、セミナー最終日のシンポジウム「残る戯曲の条件」でゲストとして登壇されるのですが、このような、話の筋で描かれる現代のシンパシーとは違う、脚本上の、絶対とも言える台詞に明文化された、まるで未来予知かのような現代との親和性は、それだけで残る戯曲の条件たりうるもののように思いました。川口さんが何を語ってくださるのか、いち研修者としてとても楽しみにしています。

川口典成さんは「日本の戯曲研修セミナーin福岡vol.2」最終日、あじびホールで開催される発表会中のシンポジウム「残る戯曲の条件」でゲストとして登壇します。(チラシ右側)みなさんぜひご参加ください!

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